引き寄せの法則でよく書かれている。
「自分が本当にやりたい事をする」
「出来る範囲で望みをかなえてあげる」
今だこの意味を正しく理解していない。

目次
自分の欲求をかなえてあげるとは?
まだ文章に書けるほどわかっていない。
でも書くことで整理が少しづつ出来てくる。
道半ば、実験は始まったばかり。
今回の「これじゃなかった」
一般的に言う失敗は
数日前にスイーツ食べたい欲求が出てきたとき。
我が家は徒歩圏内にコンビニがないので
「面倒くさい」と「無駄遣い」を理由に我慢しました。
ところが夕飯づくり中我慢の限界を感じ、
ある物で何か作れないかと、HMでドーナツを作りました。
揚げながら味見。
シナモンシュガーで味変させ味見。
黙々と食べました。
正社員で共働きしていた時によくやった
「チョコひと箱いっき食い」と同じ。
なんにも考えない、味わうこともない。
ただ無心でモグモグ。
のあとでの、腹痛、嘔吐、下痢。
チョコひと箱ならともかく
ドーナツ何個食べたんだろう…
正社員の時は社会にもまれて
ストレスの耐性?みたいなものがあったけど。
辞めてからはいろんなものの我慢が出来なくなってしまい、
(いい意味で)
苦痛に敏感になった事。
これは私にとっていいことなんだけど、
久しぶりのパート勤務が始まり
一般社会の中で調和を保つ練習中だった。

叶えてあげることより、まず聞いてあげることが大切なのかも
今回の本当の望みは何だったのかな。
ってふりかえった。
で、取り止めなく書くと、
- 食べる時には本当は味わいたい。
- 無心で食べている自分は美しくない(気持ち良くない)
- このような食べ方は形の違う自傷行為だと思う
- 欲求に振り回され体(自分)を大切にしていない
- お昼に自分が食べたいものを考えてあげなかった
だから、
本当はお昼ご飯「自分は何が食べたいのか」
疲れていたけど、面倒だけど聞いてあげればよかったのかな。って
それをしなかったために
時間差でスイーツ食べたい欲求がきたんだ。
自傷行為って書いたけど、
私は自傷行為って「自分はダメだ」とか
「誰かに気づいて欲しい」とかそうゆうメッセージだと思っていて、
だから、今回本当は
パートで疲れた私を私がお昼に労わってあげて、
「お疲れ様私!今日も頑張ったね、お昼何食べよっか?」
って聞いてあげればよかったのかな。
で、「無理ない範囲で」願望をかなえてあげる。
焼き立てのパンが食べたい!って思ったら
- 近くにパン屋さんがあれば立ち寄る。
- なかったら食パンとベーコンやチーズ買って
自宅でホッとサンド作る。 - 疲れてて無理ならコンビニでランチパンを買う
他にも選択はあるかもしれない。
大切なことは都度自分に「何が望み?」と聞いてあげることなのかな。
今回お昼ご飯の希望を聞いてあげず
適当に済ませたから
「慣れない仕事あんなに頑張ったのに、
なんで優しくしてくれないの?」
自分が拗ねちゃったんだ。
「私なんか大切じゃないんでしょ!」
自傷行為になったのかなって。
欲求ってエゴなのかな。
(よくそう聞くので)
だとしたら今回はタイミングに乗れず
エゴに振り回されてしまったけど、
いいタイミングで欲求を聞いてあげれば
自分を大切にできるってことかしら。
例えば、
パンを買うお金がなかったとしても
疲れた体が元気になる食事を
(負担が少ないナチュラルなものとか)
選択できたのかもしれない。
自分で自分の話を聞いてあげれば
希望のモノが食べれなくても、
体(私)の味方になる考え方できたのかもなぁ。
ごめんね、わたし。
この体験から昨夜の夕食を少し残した。
以前だったら
「少し残すと後々面倒だし…」
って口に入れてたんだよね。
残したご飯は今日美味しく食べました。
まだまだスッキリ納得は出来てないし、
言葉で伝えることは出来ないけど
書くことで新たに気づいたこともあった。