ミラノ五輪で世界4位に躍進した女子モーグル・冨高日向子(とみたかひなこ)選手。

「両親はどんな人?」「なぜ才能が開花したの?」と気になった方も多いのではないでしょうか。

雪国出身ではない彼女が、なぜ五輪の舞台でメダル争いを演じるまでに成長できたのか。

そこには家庭環境だけでは語れない、いくつもの転機と選択がありました。

本記事では、冨高日向子選手の両親との関係性を軸に、才能開花の理由を多角的に整理。

競技人生の裏側にあるリアルな歩みを、順を追ってひも解いていきます。

冨高日向子の両親はどんな人?

ミラノ五輪で3位と同点。

それでもターン点0.2差で4位。

あと一歩、悔しい結果です。

ですが、その舞台に立てた背景には、冨高日向子選手を支えてきた両親の存在があります。

どんな家庭で育ったのでしょうか。

スキー好きな両親のもとで育つ

冨高日向子選手は東京都町田市出身で、雪国ではありません。

それでも2歳からスキーを始めています。

理由はシンプル。

両親がスキー好きだったからです。

週末は家族でスキー場へ。

特別な強化プログラムではなく、あくまで“家族の楽しみ”。

この「楽しいから続ける」という感覚。

実はトップアスリートに共通する大事な土台です。

無理やりでは長続きしません、好きだから続く、続くから上達する。

とてもシンプルですが、強いサイクルです。

母・久仁子さんの精神的支え

冨高選手の競技人生において、特に大きな存在だったのが母・久仁子さんです。

成績が思うように伸びなかった時期もありました。

悔しさを抱えた日もあったでしょう。

それでも久仁子さんは「楽しいなら続けなさい」と応援。

結果よりも気持ちを大切にする姿勢で支えてきました。

2026年ミラノ五輪、親族が掲げた久仁子さんの遺影。

4位で涙を流した後、遺影を見て微笑んだ冨高選手。

あの表情は、多くの人の心に残っています。

「ここまで来たよ」
そんな報告のようにも見えました。

母への思いが、今も原動力になっています。

父のサポートと家族の覚悟

父親の詳細なプロフィールは公表されていません。

しかし、母と同じくスキー好きで、遠征や練習を支え続けてきた存在です。

町田から長野・白馬への週末通い。

距離にして決して近くありません。

送り迎え、宿泊、時間の調整、そのすべてに家族の協力が必要です。

都市部出身というハンデを、家族が“行動”でカバーしてきました。

冨高日向子選手の原点は、スキーを愛し、娘を信じ続けた両親の存在そのもの。

その土台があったからこそ、世界と戦える現在があります。

冨高日向子の才能開花理由を徹底調査

両親の支えという“土台”があったことは間違いありません。

では、その上に何が積み重なって、世界4位という結果につながったのでしょうか。

ここからは、冨高日向子選手の「競技面」にフォーカスします。

才能は偶然ではありません。

積み重ねの先にある必然です。

小4でつかんだ本気の環境

転機は小学4年生、白馬村スキークラブへの入会です。

ここから“趣味”は“競技”へと変わります。

白馬はモーグルの名門。

五輪5大会出場の上村愛子さんを輩出したクラブです。

同じゲレンデ、同じ空気。

「自分もあんな風に滑りたい」

憧れが目標に変わる瞬間です。

目標が具体的になると、人は一気に伸びます。

週末通いの本格練習、コブ斜面での反復、基礎の徹底。

地味ですが、これが後の武器になります。

武器は“ターンの精度”

モーグルは「ターン」「エア」「スピード」の総合採点競技です。

派手なエア技に目が行きがちですが、実は勝敗を左右するのはターン。

コブを正確に捉え、上半身を安定させ、減速せず滑り切る、リズムが崩れれば一瞬で減点。

まるで凹凸だらけの道を、水をこぼさず走るような繊細さ。

冨高選手の持ち味は、この“ブレない滑り”。

白馬で磨いた基礎が光ります。

ミラノ五輪では3位と同点。

それでもターン点0.2差で4位。

「0.2」数字にすればわずか。

でも、世界のトップ争いでは大きな差です。

それだけターンの完成度が拮抗していた証拠でもあります。

悔しい、本当に悔しい。

ですが、裏を返せば「そこまで来た」ということ。

攻め続ける進化型スタイル

ターンだけではありません。

エアではコーク720を武器にしています。

回転系の高難度技。

攻める姿勢を象徴する技です。

安定だけでは勝てない。

でも、攻めすぎても崩れる。

そのバランスを探り続けているのが現在の冨高選手。

才能は突然開花したわけではありません。

基礎の徹底、憧れの存在、自分の武器の確立。

一つひとつ積み上げた結果です。

 

さて、この成長の裏には、もう一つ大きな転機があります。

それは北京五輪での経験。

次の見出しでは、その“悔しさ”がどう進化につながったのかを掘り下げていきます。

女子モーグル冨高日向子の成長秘話と家族の支え

才能が形になり、技術も磨かれた。

それでもトップに立つには、もう一段階の“覚悟”が必要です。

そのスイッチが入ったのが、北京五輪でした。

ここからは、冨高日向子選手の「心の変化」に迫ります。

北京五輪19位という現実

2022年北京五輪、結果は19位。

世界の舞台で戦えた喜びと同時に、思い描いた順位ではありませんでした。

悔しい。きっと、言葉では足りないほどだったはずです。

オリンピックは特別な場所。

4年に一度の大舞台です。

そこで結果が出ないという経験。

これはアスリートにとって大きな試練です。

しかし、冨高選手は下を向きませんでした。

むしろ、「足りないもの」を直視します。

感情だけで終わらせない姿勢、ここが、成長の分かれ道でした。

大学生活と競技の両立

北京後も、冨高選手は多摩大学に在学。

W杯遠征が多い中、学業も並行していました。

前期は通学、後期は海外遠征中心の生活。

想像してみてください。

レポート提出と世界大会が同時進行。

普通なら「どちらかに集中したい」と思いませんか?

それでも両立を選びました。

競技だけに閉じない視野。

2025年3月に大学を卒業。

現在は多摩大学職員として所属しながら競技を続けています。

“学生アスリート”から“社会人アスリート”へ。

立場が変わることで、責任感も増します。

応援してくれる人の存在が、よりリアルになる瞬間です。

母への思いが背中を押す

そして迎えたミラノ五輪。

北京の悔しさ、4年間の努力、そして母・久仁子さんへの思い。

すべてを背負って滑りました。

4位、同点、ターン点0.2差。

悔しさと誇りが同時に押し寄せる結果。

でも、涙のあとに見せた微笑み。
あれは前を向く人の表情でした。

「まだ終わらない」

そんな決意がにじんでいました。

冨高日向子選手の成長は、環境だけでも、技術だけでもありません。

悔しさを受け止める力、支えてくれる人への感謝、そしてもう一度立ち上がる強さ。

これこそが、本当の才能かもしれません。

次の舞台では、あの0.2差を超える瞬間が見られるかもしれませんね。

まとめ

女子モーグル・冨高日向子選手がここまで成長できた背景には、両親の存在と積み重ねてきた努力がありました。

スキー好きな家庭に生まれ、支えられ、悔しさを糧に進化してきた歩み。

ミラノ五輪ではあと0.2差。

その数字の向こう側にあるのは、確かな実力と未来への伸びしろです。

両親の想いを胸に滑る姿は、ただのアスリートではなく、多くの人に勇気を与える存在そのもの。

次こそは表彰台へ。

ファンとしては、あの笑顔が最高の形で輝く瞬間を信じて、これからも全力で応援したいですね。

ABOUT ME
猫も毛づくろい
1976年生まれ、同い年の夫、長男(16歳)、次男(10歳)との4人家族。 長年勤めた会社を退職し、就活&専業主婦。 日々気になったことを書いてます