私も人並みに服を楽しんでた時期があります。
20代ですかね。
産後30代も頑張ってました。
お洒落なママを目指して。
40代の今は飾らない言葉で言うと
服を選ぶのが面倒くさい。
これって、
年を取ったの一言で片づけがちですが
意外と根深く面白かったです。
目次
服を減らした結果気づけたこと。
まず、
服を着る時に迷わなくなったこと。
少ないので天気に合わせて選ぶと迷いようがない(笑)
あと、似ているけど、
自分の着たい物がわかりやすくなった。
服をたくさん持っていた時は、
服があるのに着ていく服がない、という
謎なことが日々あった
今になって思うのが、
持ってる服のお気に入り度が低かったり、
同じ服は恥ずかしいという思い込みが理由だったと思う。
中途半端に気に入ったもの着ていると、
テンションもそんなに上がらず、
同じ服は恥ずかしいとの理由で無理なコーデをし、
結局残念なファッションでお出かけしたり。
月に一度酒の席で会うような人でも、
同じ服は恥ずかしいと思い(相手は私の服なんて覚えてない) 一生懸命悩んでた。
いまならサイコーにお気に入りのモノを数点かって、
例えば今は上下2つ買って、4パターンで生活してる。
迷いがなく楽でよい。
でもそれがわからなかった。
この少ない服の何がいいかって、
服の痛みも同じタイミングだから買い替えが楽なの!
服が多いとすべて買い替えって無理で、
テイスト変えると残っている服を活かせない。
残っている服に合うものしか選べなくなっちゃうんだよね。
結果ちぐはぐになる。
- 気分が上がらない。
- 何か買い足してみる。
- モノが増える。
- 服があるのに満足する服がない。
このような負のスパイラルから抜け出せなくなる。
昔の私がそうだった。
服が少ないと買い物時に合わせたいものを着ていく。
今着てるものに合うものを探すから、試着も出来るし失敗は少ない。
もちろん自分の管理が届く範囲なら何着でもいいと思う。
服の管理って何だろうって考えた。
着る(活用)、洗う、必要ならアイロンやクリーニング(手入れ)
何事も流れが大切。
滞ることがない(着ない、洗わない、見当たらない)
まとめると、
私は服を減らすことで
迷うことが減り疲れなくなった。
自分が望んでることが鮮明になった。
買い物の成功率が上がった。
服を大切にするようになった。
その結果、
本や音声に触れる時間、整理のブログを書く時間が増えた。
お金や持ち物を上手に扱っている自分に成長を感じている。
面倒なのに毎日同じ服が恥ずかしいのはなぜ?
過去感じてた。
これって外見の評価を自分自身の評価にしてたんだよね。
私はまだ他人から同じ服を着ていることの指摘は
受けたことないけど、
もし言われても、それは事実。
(正確にはコーディネート4セットですが)
他人の目が気になっていた時の私は、
「いつも同じ服=恥ずかしいこと」だった。
自分の思い込みや覚えていない過去の記憶なのかな。
たぶん何かしら外見で嫌な評価を受けたんだろうね。
しかし、「いつも同じ服=快適」な人もいるわけで。
どちらを選ぶかは自分が決めていいわけで。
ちょっと疲れたなら、意識の使い方の見直し時期。
身を置く環境って本当に大切で、
他人に振り回され、同調している集まりから抜け出た。
情報を減らし、一人の時間をたっぷりとった。
その後、自分らしく選択している人をたくさん知った。
本当は私
自信がない自分を手っ取り早く外見で取り繕うのでなく、
自信がある揺らがない自分になりたいだけだった。
不安定な自分をモノの力で補っていた。
そして情けないけど、
自分の外見が気になるように、
他人のことを外見で判断していたと思う。
私が他人を外見で判断するから、
周囲も私を外見で判断していたことに気づいた。
結局やっていることは自返ってくるんだよね。
印象のよいメイクやファッション調べましたから。
努力の効果も感じてました。
でも今振り返ると「だからなに?」って思います。
(;゚Д゚)
費やした時間と労力に見合っていなかった。
あの頃本当は周囲なんて気にせず、
目の前の仕事をただ真剣にやりたかった。
結果出して一目置かれる存在になりたかった。
だから、他人の目が気になる時こそ
自分が今本当にやりたい事を忘れちゃいけないんだよね。
今すぐできる!服が面倒くさい人ができること。
とはいえ、すぐに服を処分する必要はありません。
今すぐできることをまとめてみました。
今持っている服から数着選んで1週間過ごしてみる
まずは、
手持ちの服の中からお気に入りを数着選び、
服が少ない設定で過ごしてみること。
これを1週間続け、感じたことを書いてみる。
例えば、想像以上に楽だった。
トップスは種類を増やしたい。など、
気持ちの観察をしてみる。
1週間→3週間→1か月…徐々に伸ばしていく。
で、大切なのは期限を決めること。
その都度気持ちの変化を書くこと。
いろんなことが見えてくると思います。
見えてきたことを参考に服の整理をしましょう。
普段着で新しいところに出かけてみる
みなさん普段着とお出かけ着などわけてますか?
私は分けています。
詳しく書くと普段着の中でランクがある感じです。
こじゃれたとこに行くときには上位ランクを身につけます。
やることは書いた通り日常着で新しいとこに行くだけ。
そして、やってみてどんな気持ちだったか振り返る。
これは私も今後やってみたい事です!
服と環境と自分の心を感じる。
外見の違いでどのように空間が変わり何を感じるか。
私が思うに、
お出かけ着=素敵な自分=新しい店でも安心
普段着=そのままの自分=縄張りの中では安心?
で、まだやったことがないから何も書けないのですが、
自分は何を感じるのか楽しみです。
お勧めしてくれた方曰く、
普段着で出掛けてもお店の接客は雑ではないし、
得に嫌な思いはしなかった。
自分で服に優越をつけていたけだと気づいた。
そうです。
あと、逆に
普段着で過ごしている環境に
お出かけ着を着て行ってみることも勧めていました。
これも何か感じそうですよね!
いつだって必要な物はいまここにある。
今ある物を手入れする
外見以外の楽しみや興味をもってみる
エネルギー、時間を無駄にしない
書いてみて思ったこと。
服は表現アイテム、嗜好品の前に道具である。
まず、使うか使わないか。
そして、今の服を持ち続けている理由
どこがよくて、どこが使いづらいかを見て次に活かす。
心から楽しいことをしているときは、
外見にエネルギーは使っていない。
自分がどう見られているかより、今の楽しさを味わっている。
逆に行動できない時、言い訳卑下しているときは、
自分の内側から力が出ないから外側に頼ろうとする。
自分が冷静じゃないので最良の判断ができない。
だから買い物は失敗する。
いつだって立ち返るところは
今目の前にあるこの場所だけなんだな。
なにも嵐の中飛び出さないでよくて、
過ぎ去るのを今ここで待ってればいい。
あと、年齢が上がると服を気にしなくなるのって、
自分自身の落としどころ決まるってことかな。と
大袈裟に言うと自分っていうものを認められる。
子供は普段の私でいいみたいだし。
家庭を円満に続けている自信も出てくるし。
何か特別な自分になろうとしなくても
周囲は優しいですよね。