気づいたことの整理

羨ましいあの人も、可哀そうなこの人も、結局自分で創ってたはなし。

昨日の地震ビックリしましたね!
震源地に近い我が家は震度6でした。
大きな被害ないことを祈ります。

ただの整理日記。

可哀そうな実母を自分が創っていた話。

今日のBGMはシュガーソウル♪
15年ぶりくらいに聴いてます。
声がエロいわ…いや艶っぽいわ。

一緒に居ても見えてる世界はそれぞれ違う。

「一緒に居ても見えてる世界はそれぞれ違う」

これって言葉にすると当たり前だけど、
日常忘れないって私は難しくて。

夫婦でもつい
「同じものを見ている感」に
陥ってモヤモヤすることがあります。

それぞれのフィルターを通して
目の前の現実を見ているので
仕方ないですよね。
で、お互い押し付けることも出来ません。

何度もいろいろな動画や本で
角度を変えて説明してくれてます。

少しずつ理解してきたところで、
ふと思ったんです。
私は自分の実家を勝手に
「不幸な家」にしてるのではないか?

心がざわつき鳥肌立ちましたね。

「やってしもーた。」

飾らない言葉でぶっちゃけると、
「私は不幸な実家から飛び出した、自立した立派な娘。
実家に入り浸る自立してない他の姉妹とは違うのよ!」

そんな役どころ(笑)
なんか私の心汚い。
認めるのは恥ずかしいけど、
自分は他の姉妹より実家を頼らずすごいでしょ。
どこかでそう思ってた。

書かなくてもいいんだろうけど、
夫の前で他の姉妹のことを下に発言することあった。
そう言ってるってことは、どこかで下に見てたってこと。

よくよく考えればさ、
私が実家に顔出さなくても事が済むのは
常に実家に他の姉妹が出入りしているからであって。

実家と心の距離があるおかげで、
私は日々安定している。
本当は私が助けられていた。
今頃その現実に気づいてしまった。

人は目の前のことを正しく見ているのかな?

人間って、今見えてるものを正しく認識してないそうです。

ほぼ過去の記憶で現実を見ていて、
目の前のものを正しく見れているのは数パーセントだけ。

脳は出来るだけ疲れないように働いているから
このようなことが起こってるのだと。

確かに目に映るものすべて一から認識していたら、
毎日新しい地域に旅行しているようなもの。
数日の旅行なら新鮮だけど、
日常になってしまっては疲れ果ててしまう。

で、そもそも「実家は不幸」って正しいのだろうか?

定期的に警察沙汰になるし、
お酒やお金で揉める。
心配性な母は、姉や姪の仕事の心配を日々している。
会うたび妹家族の愚痴を聞かされる。

でも、これは不幸なのだろうか?

実母は可愛そうな人なのだろうか?

不幸とか可愛そうとか誰が決めるんだろうか?

見る角度によっては、
常に実の娘、孫に囲まれて幸せなのではないか?

そう、同じ人もどの角度から見るかで
印象がガラッと変わる。

右から見れば正しく見え、
左から見れば間違っているように見える場合もある。

上から見ればみんな同じに見え、
正面から見れば個性豊かな顔立ちだろう。

誰もが正しくて誰もが間違う。

そして、私のような娘の立場で実家を見たときに、
過去の親子関係、姉妹間での思い出というフィルターが入る。
ゆがむ。

もう正しく認識できてない。

世界は自分が創る、だったら幸せを創造しよう。

最近、意識が「いま」から離れないように
注意深く自分を見守っています。

注意深くなんて面倒くさいなんて思わないで。
それは自分をないがしろにしていること。
出来る時でいいの。

先週までは音声聴きながら家事をしてた。
やりたくないから好きな音声で誤魔化してた。
ここ数日は、
「切る・切る」と心で唱えながらニンジン切ったり、
「拭く・拭く」と心で唱えながら床拭きしたりしてる。

今ブログを書いている。
頭の中は記事のことだけ考える。
当たり前っぽいけど、
頭の中が過去の嫌な思い出の自分になったり、
未来の不安をイメージしてる自分になったり。

頭も気持ちも忙しかった。

でも、そんな過去も未来も今はなくて。
正しくもない記憶で感情遊びしてただけ。
さっき書いたけど、
私たちは独自のフィルターを通してイメージしている。

そう、いま以外は何も正しいものはないの。

いま・いま・いま…

唱え方はなんでもいい。

いまここでは何も起こっていない。
過去の辛い思い出も、未来の不安も何もない。
何もないからこそ感情遊びができるわけだ。

昨日の地震の時だってそう、
揺れているときは目の前の息子を守るのに必死で、
時計が落ちようと、家のきしむ音が怖くても関係ない。
過去も未来もない。
いま、目の前の息子を守りたいだけ。
それだけ。

どうせ「いま」しかないのなら、
幸せなフィルターを通してもいい。
ありがたいことに、
私は子どもの頃の楽しい家族との思い出がある。
わざわざ辛いフィルターを採用しなくてもいいんだ。

私が今ここでフィルターを変えて世界を見れば、
幸せな実家に幸せな実母がいる。
育ててくれた両親、一緒に育った兄弟姉妹を
私の世界で不幸にして、自分を優位なポジションにしなくてもよくて。

だって、私は誰かと比べなくても本当は素晴らしい存在なんだから。

みんなそのままで素晴らしい。

この言葉を自分で認められなくて、
一生懸命誰かと比べて優れているとアピールしていた。
周りから認めてもらうことで自信がついて
素晴らしい自分を自分で認められるんだと思っていた。

でもそうじゃなかった。
ブログを書いて、整理できて今気づいた。

幸せは有り余っていることを
本心の部分で受け入れてなかった。

私は誰かと比べないで、いま幸せで素晴らしい存在で、
実母も比較や条件は必要なく幸せで素晴らしい存在。

本当の親孝行って
親を幸せで素晴らしい存在だと認識し
お付き合い続けていけることなのかもしれません。

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ABOUT ME
猫も毛づくろい
1976年生まれ、同い年の夫、長男(16歳)、次男(10歳)との4人家族。 長年勤めた会社を退職し、就活&専業主婦。 ブログはいつかの自分へ向けて書いています。
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