常々思っていることを。
今日も子どもに向けた整理ブログ。
望みについて。
自分の心に望みが湧くって幸せなこと。
よくよく考えれば、
「望みが湧く」ってとても豊かなことで。
え?
「今の環境が良くないから望むんだよ!」
君はそう言うかな?
身の危険にさらされてるときは
きっと心に望みが湧く余裕すらないんだよ。
ただ恐怖。
「助かりますように」なんて願えない。
呼吸だけ、心臓の鼓動だけ。
なんとか逃れる方法を頭の中ですごい速さで考える。
今やり過ごすために、ただじっと耐える。
その波が落ち着いたときにやっと望めるわけで。
だから自分のこと、他人のことを望めることは
考え方によっては豊かなのだ。
子供たち
たくさんたくさん望むんだよ。
そして、望む自分を可哀そうだなんて勘違いするな。
今願望が叶わない可哀そうな自分なんて勘違いするな。
いつだって君たちは豊かだ。
自分の手が届く範囲をまず幸せにしよう。
思い出話なんですが、
仕事で森林開発を経験した方から、
「森林伐採反対!と活動する人」について聞きました。
彼は、
反対活動する為に家庭をおろそかにしてる人もいて、
守るものの優先順位が理解できない。
そう話してた。
その話を聞きながら、
たぶんマザーテレサだと思うんだけど、
「世界平和のために今何をしたらいいか?」
記者からの質問に
「家に帰って家族を大切にしてあげてください」
そんな答え方をしてた。
ような話を思い出した。
どんなに世界が平和であっても、
隣にいる家族が苦しんでたら平和じゃなくて。
いろんな活動、募金とか、あるけど、
まず自分が幸せであること。
幸せを感じられる余裕があること。
そして誰かと比べて幸せとか不幸せとか思いこませない。
今自分が辛いなら、辛いでいいし。
何も持ってないけど幸せならそれはそれでいい。
まず私から幸せを広げよう。
それぞれ手の届く範囲を幸せにすればいい。
少しずつ広がるから。
幸せにするのは自分、家族の次は実親なのかな。
先日の地震で実家周辺も震度6だったので
電話での安否確認はしましたが、会いに行ってきました。
少し前にブログで両親への気持ちを整理していたので、
心乱れることなく過ごせたんです!
親戚のことや、地元に居る同級生のこと。
何気ない会話をし、親が元気でいることに
感謝といえば大袈裟だけど、ホッとしました。
今子育てしながら感じてることや、
私が子供だった頃の思い出話。
子供だった頃の私の目線、親に対しての感じ方。
そんなことを素直に話せて楽しかった。
子育ての環境って様々でしょう。
で、私はそんなに窮屈に育たなかったんだよね。
もちろん子供なりに立ち位置とか気にすることもあったし、
辛いこともあったけど、
ひたすら親の顔色伺っていたわけでもなく、
自由に育った。
母本人も
「子育ては大変だったけど、
変に感情的になることもなく、なんとかなったし。」
そんな感想で、
私も「うん、確かに感情的にキレて文句言われたり、
そうゆうのはなく育ってよかったよ。」
余裕持って、言葉にできたんだよね。
少し前の私では考えられない。
「実親は幸せだ」
そう決めてしまえば、結果が少しずつ現れる。
そうゆうことなのかな。
自分の決意(実親は幸せだ)に絶対的な信頼を持つ。
現実世界に証拠を求めない。
そう本で読んだけど、
ブログを書きながら整理してたら
早速変化があったことに気づけて嬉しい。
やっぱり書くことは心の整理にたいへん役立つ!