ごちゃごちゃ悩まない!
行動すれば、気持ちも変わるから。
わかっているけど、動けなくて自己嫌悪。
今回は一冊の本から
所作を通して幸せになれることについて書きます。
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行動できないときに「所作」という言葉に出会う
負のスパイラルに入ってるときって
わかっているけど行動できない。
そんな時図書館で
「所作」という言葉が目に入った。
所作って行動よりもっと手前にある、
ただ日常の中にあるもの。
立ち振る舞いだよね。
行動ってエネルギーが大きいように感じるけど、
所作ならハードルが低いかも。
そんなきっかけで所作について調べました。
「所作」というタイトルで本を探すと
仏教や禅にたどり着きました。
その中から選んだのは枡野俊明さん
禅が教えてくれる 美しい人をつくる「所作」の基本 (幻冬舎文庫)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00WS6HC6O/ref=dbs_a_def_rwt_hsch_vapi_tkin_p1_i5
枡野 俊明(ますの しゅんみょう、1953年2月28日 – )は、日本の僧侶、作庭家。曹洞宗徳雄山建功寺住職、日本造園設計代表、多摩美術大学教授、ブリティッシュコロンビア大学特別教授(Adjunct Professor)。神奈川県横浜市生まれ。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
読んでいくうちにわかったこと。
所作とは立ち振る舞いという表面だけのことではなく、心を映し出すもの。
なぜなら、環境などによって意識が変わり立ち振る舞いが変わるから。
フォーマルな場面では自然に気持ちが引き締まる。
自分の家ではくだけてラフに立ち振る舞う。
環境が変わる=気持ちが変わる=所作が変わる
所作と心は深くかかわっている。
原因と結果だけじゃないご縁につながる所作について
話は変わりますが
原因だけで結果は得られないという話を。
例えば、リンゴの種を持っていてもリンゴは手に入りません。
リンゴの種を植えて、水をやって手入れをしてその結果リンゴの実がなる。
しかし、おなじリンゴの種を植えても、
手入れを間違えば枯れてしまうかもしれない。
リンゴの種(原因)とリンゴの実(結果)だけではなく
その間にある物が大切で、
本書では、これをご縁と表現されていて、とてもほっこりしました。
このご縁は所作とつながっているのです。
原因は同じでも結果はそれぞれ違う。
それは原因と結果の間にある物が違うから、
このご縁を磨く方法は
身・口・心を整えること。
身とは所作 口は言葉 心は柔軟性偏見や先入観などにとらわれないこと。
読んでいて疑問だったのが、
身を整えるページに
「できるだけ他人のために身を使う。」
このように書いてあったことです。
(これは後に続きます)
![](https://fumikata.com/wp-content/uploads/2022/07/読書_1658469324-1024x683.jpg)
所作の美しさに必要なことは無駄を省くこと
「簡素になるほど美しい。
美しく見せようと作為のある所作は必ずどこかで見えてしまう。」
美しく見せようと「なにか」する行為。
所作に限らずこの「なにか」する行為が
自分を忙しくしてしまいます。
「なにか」をしない=無駄を省く=美しい
よく考えたら当然なんです。
やることが多くては気持ちも行動もいそがしく雑になる。
無駄を省くことで余裕ができ丁寧な所作になる。
特別目立つわけじゃないのに目を奪われる人。
所作が美しい人ほどさりげなく、華美ではない。
周りを良く見渡してみてください。
イライラしてるひとに所作が美しい人はいません。
なぜかわからないけど綺麗で惹かれる人は
立ち振る舞いがきれい(身)
感情的な発言をしない(口)
落ち着いている(心)
このように無駄を省くと余裕ができ
「できるだけ他人のために身を使う。」ことが出来るようになるんです。
自分をよく見せるために「なにか」をするのではなく、
「なにか」を止めて相手の為に自分を使う。
ご縁を磨く方法の理解が深まりました。
![](https://fumikata.com/wp-content/uploads/2021/02/光_1612943691.jpg)
行動する元気がないときは「所作」を意識して過ごすだけ。
いや、わざわざ行動しなくても「所作」を通して
身・口・心を整える生活を送るだけで
向うから幸せがやってくるかもしれませんね。
このような本に出会い
当たり前の日常から幸せが生まれることに気づけて
幸せを再確認できました。