先日図書館で
「悪魔とのおしゃべり」さとうみつろう著
借りました。
今の私には
とても斬新で、読み直しました。
自分の言葉で整理しようと思います。
第1章:悪魔のささやき
理解できるアドバイスなら、そもそも聞く意味がないのさ
苦しみは「正しさ」の副作用と知る
人はどうして苦しむのか?
その理由が書かれています。
簡単に書くと、
自分の中にある正しさが自分を苦しめているのです。
本に書かれていた例は以下の通り。
万引きをして罪悪感に苦しい
→盗みは悪いことだという「正しさ」
早起きは辛いのは
→「遅刻はいけないこと」という「正しさ」
ダイエットが苦しいのは
→「痩せている方が美しい」という「正しさ」
この「正しさ」という思い込み(勘違い)があるから
苦しく辛いと書かれていました。
自分に置き換えて考えてみました。
確かに、
習い事の朝ヨガでの早起きは辛くないし、
運動が楽しいならダイエット苦ではありません。
(万引きはしたことないからイメージできなかった)
本当だ!
「正しい」を基準にすると辛く苦しい。
初めて気づきました。
本に出てくる悪魔は言います。
人間を苦しめているのは
悪なのか正しさという善なのか?
正しさが増えれば増えるほど、
私たちは何者かに縛られていくんではないでしょうか。
自分の中に抱えている「正しさを疑え!」
第一章を私が読んだところ
下記のように善と悪を考えています。
善とは「誰かが決めた正しさ」
悪とは「正しさを疑うこと」
そして外側(社会)の正しさを疑うことより
内側(自分自身)の正しさを疑えと書かれています。
自分が抱え込んだ「正しさ」の数だけ
出来ないことが増えていきます。
自分の可能性を狭くしている行為なのです。
( ゚Д゚)
って、
えーーー⁉
正しいっていいことなんじゃないの?
そう思って(思い込んで)生きてたんですけど…
だから、だから、
自分の中の「正しさ」が減れば減るほど
可能性は広がるわけ!
そう、いま必要なのは
悪になること(正しいを疑うこと)なのです。
これすごくないですか!
全てを疑う。
親、学校、社会のルール。
親のしつけは子供を想ってのことか。
→親の勝手な都合では?
学校で習った事は本当に正しかったか。
→大人になった今どう感じる?
社会のルールは誰の為か。
→市民の為?それとも権力者の為?
「当たり前を疑う」
親として残念なのですが、
本にも書かれていた
「子供は早く寝なさい」というルールは
権力者(親)の都合。
もちろん100%ではありませんが、
子供を早く寝せて自由時間を確保していましたね。
だからといって、悪だとは思いません。
成長、健康を気遣う面もあるし、
残っている家事をしたり、
自由時間にあてたりなどいろんな面があります。
子を早く寝せる良い親=正しい
を手放せるといいですよね。
こんな時は素直に話してもいいのかな。
そう思いました。
「お母さんも好きなことしたい」って伝えるとかね。
そうすることで「親は我慢するもの」という
変な思い込みを子供も持たなくなるのではないでしょうか。
全く理解ができないアドバイスが必要な理由
理解できない領域にしか新しい可能性はない。
??
本に書かれていることを
私なりに書きます。
理解できることとは、
現状の自分が納得できる範囲の知識なわけで、
今の自分と似たり寄ったりの情報ということ。
今上手く行っていないなら、
似たり寄ったりの理解できるアドバイスでは現状維持になる。
自分の知識総動員した結果が今だから。
現状を変えたいのであれば、
理解できない話こそ新たな知識になる。
そこに現状を変える可能性が隠れている。
…
「怖くなーい?」
私これ読んでちょっと怖かった。
理解できない未知の領域に踏み込む怖さと、
でも、悪魔が話している内容に恐々納得している自分がいる。
本当に今必要なのは悪(疑う)かもしれません。
悪シャワ条約…
続く